●50代のおっさんが包丁を砥ぎながら故郷を想う閑話。

黄渓600pix.jpg

僕が2歳の頃に過ごした集落は51年後の現在、既に無い。この集落を思い出す時、

何故か寂寥感に捉われる様な、でも懐かしい様な、今でも不思議な気持ちになる。

ある記事で脳を研究する専門家の意見では、2歳児の脳はまだ海馬が未発達な為

長く記憶を保持できないという記述を見た事がある。

西日に照らされた茶色の長椅子、四脚テレビや窓辺に活た鬼灯、琥珀色の鼈甲飴

、銭湯、暗いトイレ、なだらかな坂を下った先にあるバス停や、そこから見える

緩やかな丘陵地の風景。 成る程、写真の様に確かに記憶はかなり断片的である。

だけど、当時その風景を眺め、あの向こう側には何があるのか? 行ってみたい!

といつも外に出て眺めていた自分の気持ちは、よく覚えている。

廃村となったこの場所は北海道にある黄渓という集落だ。

地図で洞爺湖と倶多楽湖を直線で引いて丁度、中間に位置する場所にある。

昭和初期から35年ころに硫黄鉱山が栄えた時期に出来た集落だと後に、何かの

記事で知ったが年代を考えると僕が住んでいた時期は硫化鉄鉱の需要が著しく

減少していた時期であった。それでも集落には会社直営の診療所、共同浴場、

グランド、購買、学校、共同住宅などが集落にはあり、バス等の交通機関も

数時間に1本の頻度で通っていたと思う。

当時、父は教職についていて集落の学校で働き、平屋3棟の狭い住宅で僕と兄、

両親の4人で暮らしていたが、この集落はこの後2年程で廃村となったらしい。

先日、この故郷の話題が出て急遽行ってみよう! という話になり僕と兄と母

の3人で現地に赴く事になった。 僕にとって51年ぶりに訪れる場所である。

国土地理院が昔発行した昭和44年版の地図と現在の地図を入念に調べ、

おおよその地点をわりだしてから出発した。 現地に着いてみると草や木に

覆われた廃墟や石段がまだ残っていて廃屋から突き出た木や草が51年の歳月

を物語っていた。 肝心の我が家は? と探したが見つからず僕たちが暮らし

ていた平屋はおそらくは新しく敷設された道路の下なのだろうという結論に

至った。 寂し事に今見ている風景が今一つ記憶と一致しないのだが唯一、

馬の背と呼ばれていた小高い丘だけが当時の面影を残していてくれた。

人の記憶というのは不思議である。小中学の記憶は正直あまり覚えていない

のだが、黄渓で筋向いのおばちゃんの家に遊びに行った事や、雪が積もった

日にスキーを履いて家の前でヨチヨチ、カニ歩きしてた事など他愛も無い

事のはずが、この頃の記憶だけはカラー写真の様に憶えているのである。



        岩魚岩男

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